🌱プロフィール①🌱
岡田純璃(おかだじゅんり)
1959年7月生まれ
熊本県生まれ、福岡県育ち、熊本県在住
48歳の時、夫が52歳で他界しました。
病名は「S状結腸癌」でした。
けれど私は夫の本当の病名は
「過信」だと思っています。
なぜなら、
「スポーツマンの俺に限って悪性の病気になる
わけがない」
と思い込んでいたのです。
5年もの長い間、「要精密検査」と警告されていること
を隠し、病院に行かないままでした。
腸閉塞の症状が出て癌が発覚した時は既に末期で、
肝臓いっぱいに転移していました。
その時の夫の年齢は46歳。
バリバリの働き盛りの年齢です。
理数系のとても仕事ができる人でしたが、
その後の努力は6年目で強制終了。
亡くなった時の悔しそうな表情は、
いまだに脳裏から消えません。
だからこそ夫の死を無駄にしたくないのです。
身体からのメッセージに耳を傾けて欲しい。
夫にも小さな症状がたくさん出ていたようでした。
気づいて聞いても「大丈夫」としか言わない、
強がりの病院嫌いでした。
ただ、病院にかからなくても緩和する症状がある
ことも、身をもってよく知っています。
心と身体は密接だという証拠です。
あなたを見守る役目を私にくださいませんか。
🌱職歴🌱
●赤十字血液センター勤務 16年
●ネットワークビジネス 12年
●タロット占い及びカウンセリング 11年
●筆跡診断 7年
●潜在意識コーチ 1年
🌱家族🌱
(2023年5月22日現在)
●長女・・既婚 子ども2人
●長男・・既婚 子ども2人
●実母
🌱プロフィール②🌱
私の5大試練
1⃣ 貧乏で暗い生活■■■■■■■■■■■■
すぐ怒る父、怒らせることを言う母、
引っ越し貧乏10代までに9回、
人の顔色を見て、ひたすら空気を読み、
暗く夢が無くおとなしく、中学時代に自殺を考える。
なぜ生きていかなければならないのかと自問自答の10代。
「借家」というワードに強いコンプレックスを抱くようになる。
2⃣ ワンオペ家事と育児■■■■■■■■■■
結婚を機に「真面目な良い子」を卒業したものの、夫婦共働きでワンオペ家事とワンオペ育児でいっぱいいっぱいになる。
堅実だが拘束時間が長い仕事を惜しまれながらも土下座して退職。
出会ったネットワークビジネスでお金と時間を手に入れようと挑むも鳴かず飛ばずの状態で数種仕事をかけ持つ。
3⃣ 娘のヤンキー化■■■■■■■■■■■■
思春期になった娘との不和に解決手段が見えず、強い孤独感と絶望感に陥る。
夫は激務、味方が見つからず周りに相談するも出口がない。
私がいなくなったら娘に思いが通じるかもと再び死がよぎる。
下の子がいるのにと思いとどまる。
ビジネスの不調の苦悩も併せて、ひたすら本をあさり読む。
4⃣ 夫の末期癌と霊能者を語る愛人■■■■■
腸閉塞を起こして発覚した夫の癌は末期のS状結腸癌。
大小8回の手術をしながらも、毎晩のように飲みに行くという奇行に混乱する。
霊感があるというスナックのママと愛人関係発覚。
愛人は私に生霊としてとりつき、様々ないじめを繰り返す。
スナック通いをやめない末期癌の夫を制したく私は飲めない強いアルコールを一気飲みして自殺未遂。
違う部屋で試験勉強している長男を思って、もう一杯飲むのをやめ過換気症候群で収まる。
夫は死の直前に3人呼んだうちの一人がこの女性。
私の前でパパと言いながらさめざめと泣く女性を優しくタクシーに乗せた私は、夫より先に死のうかと病院前の川をのぞき込む。
子どもたちがいるからとまた思いとどまる。
5⃣ 夫死亡■■■■■■■■■■■■■■■■
48歳で、望まない一人暮らしがいきなり始まる。
怒りが混じった悲しみで身の置き所がない。
大声で泣き続けても誰にも迷惑をかけないから半年泣き続け自律神経に不調をきたす。
🌱プロフィール③🌱
過去の苦悩からの学びと恩恵
1⃣ 貧乏で暗い生活からの恩恵■■■■■■■
当時の暮らしと比較したらどれだけ今が豊かであるか。
自分次第でどうにでもなるという実感。
幸せの感覚は、与えられるもので決めるのではなく、感じるものであるということ。
2⃣ ワンオペ家事と育児からの恩恵■■■■■
急いで食事の用意をしなくてはならないからこそ「旨い・早い・バラエティーに富む」をモットーにして要領がよくなった。
図らずもボランティアのように10年続けた「鍋の使い方教室」により、たくさんの「ためになる料理」を習得。
なるべく手料理を食べさせて来たからか娘も同じように子どもたちに料理をしている。
3⃣ 娘のヤンキー化からの学び■■■■■■■
この子には私より良い人生を歩んで欲しいという気持ちで必死だったが、ある時から娘を見つめ続けるのをやめ、
「この子は私の子だから大丈夫」と考えを変えた。
一気に肩の力が抜けていったように思う。
そこからきっと娘も自分らしくていいんだと楽になったに違いない。
今はお互いが一番の味方である。
相手に向いていた矢印を自分に向けたことが功を奏した。
全ては自分だという強い教訓が残った。
4⃣ 夫の末期癌と霊能者を語る愛人からの学び
人は病気で死を意識していると、人格や性格がそれまでとは違うことになりかねない。
こんな人だったのか、ではなく、迫りくる死への恐怖が奇行にまで及ぶかもしれないし、常軌を逸するのかもしれないと思い知った。
そのような深い意味あいは妻の都合のいい憶測かもしれないが、普段通りとはいかない。
「もっと早く病院にかかっていれば」と、意地でも口にしなかった夫の悔しさを、私はむしろ忘れずに後世に語る使命を感じる。
5⃣ 夫死亡からの学び■■■■■■■■■■■
泣き暮らしていたある日、何とか楽になりたい一心で、大手術をして入院した時に知り合った当時70代患者の奥様にハガキを書いてみたら電話がかかってきた。
すでに4年前に未亡人になっていたその方は、夫を亡くしたばかりの私を慰めるどころか、悲しみをコンコンと語られた。
こんな未亡人には決してならないと強い教訓になり、いつまでも泣いてなんかいないぞと動き始めた。
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